長根T遺跡

岩手沿岸地方で初めて古墳群が発見された遺跡で、715(和銅8)年に昆布を
貢献した須賀君古麻比留(すがのきみこまひる)との関係も考えられる。



遠くに見える尾根の中央付近が 「長根T遺跡」。今は 草木も伸びて、
アプローチが難しく、バス車内での解説に終わり、見学は行われない。

出土品は、宮古市図書館に保管されている。宮古市教育委員会への、
見学依願は、「見せられる状態にない」と、断られてしまった。

閉伊川の河口から約3キロメートル遡った丘陵上にある。標高47メートル。

1988年(昭和63年)の発掘調査によって古墳28基、方形周溝2基、溝跡、ピット、落とし穴、
中世墓壙などが検出された。

古墳は丘陵尾根の頂部から南側斜面にかけて造られている。
出土遺物は蕨手刀一振、錫製釧1個、和同開珎1枚、ガラス小玉214個、高杯などである。
沿岸部において未検出であった古墳ばかりでなく副葬品のなかの和同開珎(新和銅)などは
関東以西での製造と推定される。
長根古墳群や山田町の房の沢古墳群、また北上川流域の古墳群から出土するものの一つに
錫製の釧(くしろ)の(腕輪・首飾り)、黒曜右がある。

錫製釧は土抗状の主体部をともなう古墳から出土することや北海道の遺跡から多く発見され
ていることから北方ルートでもたらされた大陸系の遺物といわれている。

749年(天平感宝元年)に陸奥の国から初めて黄金が献上される半世紀近く前から、
和銅(自然鋼)をはじめ朱の原料や白銀、金、銀、錫など多くの鉱山、資源が発見され、
生産されている。
銅は和同開珎をはじめとする貨幣鋳造に多く使われているほか、錫や鉛を加えて
合金「佐波理(さはり)」として銅碗などの仏具に使用されている。

古代日本では錫が単独で装飾品に加工して利用することはなかったようである。
そのため錫釧は北海道系の土師器などとともに北方との交流を裏付ける一つとされている。
古墳の立地は内陸部古墳と同様に主要河川の北岸に位置しており、
川との生活のかかわりをしめしている。

「続日本紀」にみえる「閉村」や「日本後紀」にみえる「遠閉伊村」「幣伊村」などが考えられる
貴重な遺跡である。

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