岩手県指定無形文化財 黒森神楽
 
 

黒森神楽保存会



概 略

 岩手県立博物館研究報告第二号で門屋光昭先生は、

 「かぐら(神楽)」の語源は、本田安次氏によれば古来諸説があるが、『かむくら(神座)』から来たのではないかと言う。神座に神を迎え、その前で行われる鎮魂の神事が神楽で、即ち古代人は神を強力な魂と考えていて、その魂を体内にしっかりと鎮め、衰えた生命力を復活させようとするのが鎮魂(たましずめ)であった。言い換えれば長寿を願う祈祷でもあると言う。

 本田氏は、神楽には宮廷で行われる御神楽と諸社で行われる里神楽とがあり、今日行われている神楽は近世、にわかにひろまったもので、そのもとはやはり古伝に発しているが、大別すると、@巫子神楽A出雲流の神楽 B湯立の神楽 C獅子神楽−山伏神楽・太神楽になると言う。

 民俗芸能の豊富な岩手県はまた神楽の宝庫でもあるが、ここには修験者集団の組織した山伏神楽が広く分布する。他にも山伏神楽の要素を吸収しながらも、唯一神道の神事芸能として南部藩の社家神職が組織した社風(みやぶり)神楽、修験廃止後農民達の手で独自の展開をした県南地方のセリフ神楽(南部神楽・仙台神楽とも言う)、江戸舞神楽とも呼ばれる多賀神楽、そして太神楽などがある。

 特にセリフ神楽は旧伊達藩領で盛んで、一部山伏神楽の式舞的な要素は残すものの、大半は浄瑠璃・歌舞伎や郷土の伝説を神楽化し、平易なセリフと動的な所作で分かり易く、娯楽的要素の極めて強い神楽である。胆沢・両磐地方や宮城県北地方で盛大な神楽大会が開かれ、優劣が競われる。信田の森や一の谷合戦・田村三代記などが人気である。

 しかし、岩手県の神楽の本領が山伏神楽にあることは言うまでもない。国指定重要無形文化財の第一号に指定された早池峰神楽(岳神楽・大償神楽)を始め、和賀大乗神楽・円万寺神楽など、古雅と神秘性を漂わせて今も舞われ続ける神楽が多い。そうした中で、黒森神楽は早池峰神楽などが早い時期にやめた巡業を現在でも行い、それに伴って神楽演目以外の祈祷舞や儀礼を保持している極めて重要な神楽である」と記している。

 このことが、黒森神楽の概略であると云える。

由 来

 黒森神楽は、黒森山(標高三一〇米)の中腹にある黒森神社に安置される権現様を戴いて、黒森神社の祭礼や一月から二月にかけて陸中沿岸を巡行する神楽である。

 古くは、地元の修験・山伏の先導によって、黒森神社の別当が主催したもので、神楽の儀礼の中に修験色を多く遺している。神楽の記録は十七世紀後半までさかのぼることができ、宝暦八(一七五八)年の「宮古黒森山獅子舞廻り方三閉伊村附帳」によって延宝(一六七三〜一六八〇年)以前から広域の神楽巡行を行っていることが分かる。

 巡行の際に奉じられた権現様(獅子頭)は南北朝初頭と言われるものがあり、何らかの儀礼に使用されていたと思われるが、神楽に結び付く記録は確認できない。黒森神社の権現様を戴いて、黒森山を中心にして北は久慈市まで、南は大槌町赤浜までの間を、北廻り、南廻りと称して隔年に各村々を廻村している。

 こうした長い期間と範囲を巡行する神楽は全国的にも珍しく、昭和六十二(一九八七)年に岩手県無形文化財に指定された。

 演目は長い巡行に耐えられるような、豊かな演目を持っている。大きくわけて、権現様による儀礼(墓獅子・神楽念仏・柱固め・身固め・厄払い等)と、権現様を使わない神楽(大きくわけると、神舞い=役舞・演劇的要素を持った演目=仕組み、そして狂言)に分けることができ、三晩までをこなす演目があると言われている。

 なお、近年はこの神楽の巡行する地域の生活環境の変化と、世代交代等により各村で神楽宿を引き受ける民家が急激に少なくなって来ている。

 このため黒森神楽と鵜鳥神楽が「陸中沿岸地方の廻り神楽」として、平成八(一九九六)年六月十九日文化庁より「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に選択された。

 宮古市では普代村と黒森神楽保存会・鵜鳥神楽保存会と協力して、平成八年度より国庫補助を受け、記録作成・周知事業を実施し、「陸中沿岸地方の廻り神楽報告書」とビデオテープを作成している。

 (参考「陸中沿岸地方の廻り神楽報告書」と「ビデオテープ」は、黒森ふれあい館に備え付けられている。)

  (この選択言の元本は、宮古市山口第四地割田の神前 133-7 黒森ふれあい館会議室(日本間)に掲示されている。) 。

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