金取(かねどり)遺跡の紹介
岩手県 宮守村 水原 義人
最初に申し上げたいことは、金取遺跡は現在確認のための再発掘中(2003、8、26〜9、16)ですので、新しい事実が出て変わる事態になるかも知れません。又原稿を頼まれたのですが、更に調査やまとめる時間も少なく、それで昨年6月授業用にまとめていたこの文を、敢えて載せる次第です。ご了解ください。
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1 はじめに
金取遺跡は岩手県上閉伊郡宮守村達曽部34地割29番地(北緯39°23′13″ 東経141°20′36″)の通称「金取」にあります。出土物は石器、木炭片、焼礫などでしたが、中期旧石器時代の複合遺跡で、北上山地では初めて層位の確実な遺跡、又日本で唯一の確実な3万年以前の石器とのことです。文化層は4〜5万年前に降下した赤黄褐色火山層の下部に発達しているとのことで、原人のキャンプ(野営地)跡のユニット(複合体を構成する−まとまりの単位)ではないかと新聞等で取り上げられたのです。
2 発見の状況
発見したのは1984年5月5日で発見者は武田良夫氏(当時遠野郵便局勤務、盛岡市)で鑑定者は菊池強一氏(当時伊保内高校教頭)でした。武田氏は、ここを通るときはいつも、この地形この丘に着目をしていてその日もここに車から降り立つと工事中で(建設会社の資材置き場の用地として整地をしていた)発掘された跡に石器を発見したのです。その石器(ハンドアックス)の様子をこう述べています。
「火山灰の風化した淡いオレンジ色のロームが付着し、ずっしりと重い大型の(亀の子状)打製の石斧で、長楕円形の石材の一端に直角に刃を付け頂部を三角形に加工した跡があり、裏は周囲からあたかも放射状に中心に向かう粗い剥離が見えた」(写真参照)と述べています。
3 発掘の成果
この付近は約5万年前の黒沢尻火山灰のローム(粘土)層であり、発掘調査は1984年8月2日から12日に行われました。その結果見つかったものとしては、石器ハンドアックス(石斧)デスクコア(円盤形石核)剥片、屑片、焼礫その他木炭片等だったそうです。そして説明によると、年代の決め手になったのは九州の阿蘇山の火山灰(阿蘇4)だったと云います。石器はたいていはすぐそばの石を使っている。土産土法だったと言います。
4 その後の状況
・ 発掘調査報告書は1986年(昭和61年)3月に出されています。それには更に石器を見つけた地層の科学的調査分析を行い、火山灰も順番に採取して、土壌分析をしたことが記載され、更に木炭片についても炭素の年代測定法で23000年から24000年前の結果が出ているそうです。そして裏付けをとり、クロスチェックがなされていることが分かります。
・ しかしその後、宮城県では座散乱木遺跡、上高森遺跡の発掘などで藤村氏の捏造事件が起こり、年代がどんどん古代に溯る状況になったため、影が薄くなり取り上げられることも少なくなって来ましたが、捏造が発覚し、教科書も書き換えられるなどで又変わり、再び「金取」の重要性が指摘され、取り上げられて来ています。
・ その金取遺跡の跡は、残念ながら、その後保存も図られず、史跡などの指定もされぬままに、その跡は業者の工事で跡形もなく平地にされてしまっています。私はこのような遺跡の保存の問題を「長屋王の邸宅遺跡」が大勢の反対にもかかわらず「奈良そごう」の商売のために潰され、破壊され、しかもわずか11年で閉店した事実と重ね合わせて考えたいと思っています。人間とは、文化とは、文化財とは と
資料 金取遺跡 −発掘調査報告書− 宮守村教育委員会 1986.3.31
金取遺跡説明会資料 及びメモなど
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