第56回岩手日報文化賞(2003/10/13)の記事


宮守・金取遺跡の発見者
武田良夫さん

      

 「発掘は1人ではできない。賞はグループとしていただけるのならとも思ったが、これが仲間を代表して、ということになるのでしょうか」。権威とは無縁の在野の研究者は、終始はにかみを消さず受賞の弁を語る。

 終戦後間もない小学生高学年のころ、当時住んでいた宮古市内の縄文遺跡で土器片を初めて手にしたのが、現在に至る出発点。盛岡一高を卒業後郵便局員となり、職業人として定年まで勤め上げる一方、自由だが孤独でもある場所に立ち、考古学を探究し続けてきた。

 「発掘はパズルゲーム。ロマンなんて考えたことはない。警察の鑑識みたいなものでしょう」。とは言いながら「遺跡を掘るときは、この本(遺跡)を初めて読むのが私なんだと思う」とも。冷静な胸の内に、やはりロマンが潜んでいる。

 日本考古学協会が今年7月、現時点で国内最古と認定した宮守村達曽部の金取遺跡の発見者。今からちょうど20年前の1983年11月。当時勤務していた遠野郵便局から盛岡の自宅に帰る途中、眠気覚ましに車を止めた付近の地層から打製石斧(せきふ)を見つけた瞬間こそ、金取遺跡を数万年の眠りから呼び覚ました瞬間だった。

 翌年、菊池強一さん(前西和賀高校長)を団長に行われた発掘調査の確かさは、2000年に旧石器ねつ造問題が発覚して、あらためて評価を集めた。金取遺跡はこの年代の標準となり、本人いわく「2度目の発見を迎えたかの様相」に。今夏の二次調査も全国的に注目の的となった。

 「遺跡は日詰気仙沼構造線にあり、10万年の地層が最も厚くても1・5メートルの範囲に収まっている。こんなに条件のよい場所はなく、今でももう少し資料が出ないかと思っている」。金取通いはすでに200回を数える。

 旧石器時代から縄文時代草創期・早期が関心の焦点。岩洞湖小石川遺跡(玉山村)など県内の数々の旧石器遺跡、古代では永福寺山遺跡(盛岡市)などで地道に成果を積み上げ、学会などで全国に向け発表してきた。

 自身をアマチュアと称するが、自負もある。「現在は発掘調査が公務員の仕事になっているが、アマチュアが貢献できることはまだある。遺跡を見る(確かな)目は、多ければ多いほどいいわけですから」。

【写真=「考古学は自分に何かが加わる、そんな充実感を与えてくれる」いう武田良夫さん】

      

岩手日報 Web より

戻る