古代蝦夷関係年表

                                             工藤雅樹氏 作成

〜BC4世紀   縄文時代。
BC3世紀〜   津軽平野まで水田稲作がひろがる(田舎館村垂柳遺跡)。
4世紀       会津大塚山古墳、郡山市大安場古噴、名取市雷神山古墳など。
4世紀       東北北部に続縄文文化(後半段階)ひろがる。能代市寒川U遺跡など。
             東北北部の大部分は稲作が中断する。
5世紀       胆沢町角塚古墳、水沢市中半入遺跡など。
478          倭王武(雄略天皇)、南朝宋に使いをおくる。
6世紀〜7世紀中頃 国造制の時代(各地の有力豪族を地方長官に任命)、国造の
             クニの北限は阿武隈川と信濃川・阿賀野川の河口。
7世紀       この頃から北海道で擦文文化の時代がはじまる。
             東北北部では稲作が復活しはじめる。
7世紀後半   この頃から東北地方北部と北海道の一部に終末期古墳が出現する。
645(大化1)   大化の改新はじまる。東国国司が派遺される。
647(大化3)   渟足柵(新潟市)を置く。翌年には磐舟柵(新潟県村上市)を置く。
650年頃      評(コホリ)・国が設定され、陸奥国(はじめは道奥国といった)が置
             かれる。
658・59・60(斉明天皇4・5・6) 阿倍比羅夫の遠征。
659(斉明天皇5) 遣唐使、蝦夷を中国に帯同し、洛陽で高宗に謁見。
701(大宝1)   大宝律令施行。
708(和銅1)   越後国に新たに出羽郡を建てる。
709(和銅2)   陸奥鎮東将軍・征越後蝦夷将軍任命される。
712(和銅5)   越後国出羽郡と陸奥国置賜・最上郡をもって出羽国を置く。
713(和銅6)   陸奥国に丹取郡[宮城県北部の大崎平野]を建てる。
715(霊亀1)   陸奥の蝦夷邑良志別君[オラシベノキミ]宇蘇弥奈[ウソミナ]と
             須賀君[スガノキミ]古麻比留[コマヒル]の請により、香河村
             [不明]と閇村[へイムラ、宮古市附近]に郡家を建てる。
718(養老2)   陸奥国の南部の石城・標葉・行方・宇太・日理、常陸国菊多の六郡
             をもって石城国を、白河・石背・会津・安積・信夫の五郡をもって
             石背国を置く。[両国は724(神亀1〕年ころまでに廃止]
720(養老4)   暇夷反乱し、按察使[アゼチ] 上毛野広人を殺す。
721(養老5)   出羽国を陸奥按察使の管轄下に置く。
724(神亀1)   海道の蝦夷が反乱し、大掾佐伯児屋麻呂を殺す。多賀城が置かれる。
733(天平5)   出羽柵を秋田村高清水岡に遷す〔秋田村は秋田市附近]。
737(天平9)   大野東人、雄勝村[秋田県南部、後の雄勝郡、平鹿郡、山本郡の地域]
             に城柵を置くために大軍を動員するが、雄勝村の住民の反対により
             断念する。
749(天平21) 陸奥国、金を出す。
757(天平宝字1) 陸奥国眺生、出羽国小勝に柵戸[キノヘ]を配し、桃生城・雄勝城
             の造営が始まる(759年中に完成)。藤原恵美朝臣朝 陸奥守となる。
762(天平宝字6) 多賀城の大改修が行なわれる。
767(神護景雲1) 伊治城〔宮城県粟原郡築館町]作り終る。
770(宝亀1)   蝦夷、宇漢迷公[ウガメノキミ]宇屈波宇[ウクハウ]ら、徒族を率いて
             賊地に逃げ還り、使をおくって呼び寄せても帰らず、同族を率いて必
             ず城柵を侵すと言う。
774(宝亀5)   海道の蝦夷が桃生城[宮城県桃生郡河北町飯野]を侵す。按察使の大伴
             駿河麻呂ら陸奥国の遠山村[宮城県登米郡]を撃つ。
776(宝亀7)   出羽国志波村[岩手県紫波郡地方]の賊と官軍とが戦い、官軍不利。
             陸奥国の軍3000人を発して胆沢[岩手県水沢市附近]の賦を伐つ。
778(宝臼9)   睦奥。出羽国司以下、征峨に功ある呑2267人に叙爵。伊治公皆麻呂、
             外従五位下を与えられる。
780(宝竈11) 伊治公皆麻呂の乱。
781(天応1)   賊の首として、伊佐西古、諸絞、八十嶋、乙代の名が見える。
788(延歴7)   征東大使に紀古佐美を任命する。
789(延歴8)   政府軍河を渡り阿弖流為[アテルイ]の率いる軍と戦い大敗。援軍5万余。
791(延歴10) 征夷大使に大伴弟麻呂を副使に坂上田村麻呂らを任命する。
792(延歴11) 斯波[シワ]村の蝦夷の胆沢公阿奴志己ら、伊治村の俘にさえぎられて、
             王化に帰することができないので、伊治村の俘と戦って永く降路を開き
             たいと申し入れる。
794(延歴13) 征夷将軍大伴弟麻呂、斬首457級、捕虜150人、獲馬85疋、焼落75処と
             奏す。征軍10万。
797(延歴16) 坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命する。
801(延歴20) 坂上田村麻呂、蝦夷と戦う。征軍4万。
802(延歴21) 坂上田村麻呂を遣して胆沢城を造り、多賀城から、鎮守府を遷す。
       大墓公阿弖流為、磐具公母禮ら、種類500余人を率いて降る。
803(延歴22) 坂上田村麻呂、志波城を造る。
805(延歴24) 藤原緒嗣、菅野真道、天下の徳政を論じ、征夷と造都を中止。
810(弘仁1)  文室綿麻呂を按察使に任命。
811(弘仁2)  和賀、稗貫、志波の三郡を置く。
       文室綿麻呂を征夷将軍に任命。
        出羽国、邑良志閇[オラシベ]村の降俘、吉弥侯部都留岐[キミコベノ
             ツルキ]の申請により、爾薩体村・都母[ツモ]村・幣伊村の夷を攻撃
             させる。
830(天長7)  大地震があり、秋田城に大きな被害。
850{嘉祥3)  出羽国で大地震。
855(斉衡2)  陸奥国の奥地の俘囚が互いに殺傷しあったため、非常に備えるために
             援助の兵2000人を発し、さらに近くの城の兵1000人を選んで危急に備
             える。
869(貞観11) 陸奥国で大地震があり、多賀城に大きな被害。
875{貞観17) 渡嶋の荒狄が叛し、水軍80艘で秋田、飽海両郡の民21人を殺す。
878{元慶2)  元慶の乱はじまる。藤原保則を出羽権守に任命。
893(寛平5)  出羽国の渡嶋の狄と奥地の俘囚等が戦闘をしようとした。
915(延喜15) 出羽国に灰が降る(十和田湖の噴火)。
939(天慶2)  出羽国の俘囚が反乱し、秋田城の軍と合戦。
10世紀後半  この頃、東北北部と北海道の一部に防御性集落が出現。。
1051(永承3) 前九年の合戦はじまる。〜1062(康平5)
l067(治暦3)〜1071(延久3) この頃、陸奥守、源頼俊、閉伊七村の山徒と衣曾別嶋
             の荒夷を討つ。
1083(永保3) 後三年の合戦はじまる。〜1087(寛治1)
1094(嘉保1)〜1104(康和6) この間に、藤原清衡平泉に居館を置く。
1189(文治5) 文治五年奥州合戦、平泉藤原氏滅ぶ。

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