本書は、日本古代史上、蝦夷の名で呼ばれ、またその題下で論ぜられてきた主要な問題を、初歩から問い直して、研究の全く新しい出直しを期するものである。
蝦夷研究が白明のことのように前提し、そこから出発した原点にこそ基本の問題があったことの反省から、本書は出発するのである。
本書では、結論を先取りして、蝦夷をエビスと読ぶことにする。
エミシやエゾは、通説との関連で、必要な限りにおいて言及される。
本書は、ある意味では、蝦夷がなぜ、本来、エミシでもエゾでもなくて、エビスなのか、エビスでなければならないかの論証の書ですらある。
このような取り組みかたからすぐ気づかれるように、本書では、研究史が自明の前提としたり、定説とし通説とみなしてきたものの根本からの洗い直しによって、これからの研究に新しい基礎をおくことを意図している。
はじめに本書全体の見取図を示しておく。
本書が最初に取りあげるのは、あずまの国(東国)ということであるが、それは根源に、みやこ(都)というところに対するひな(鄙)の国という問題を踏まえている。
ひなのくに・ひなびとということの特殊・歴史的限定として、あずまの国.あずま人という問題が提示され、この国のこの人たちについて「東夷」というとらえかたが生じて、エビス問題の発生を見る。これが問題の策一段階である。
この「東夷」という形の東国問題を、せまく固有のエビス問題に限定していく歴史の場が
「日高見国」と呼ばれる世界である。
古代史上のエビスと称されている人たちは、この日高見国人ときれているのであるから、日高見国とはなにかということが、本書における主要テーマの一を占める。
従来エビスの問題は、みちのおく・陸奥国ないし奥羽(陸奥・出羽)の問題とされてきた。
しかしそれは、日高見国の呼称が陸奥国というように改まってからの問題の第二段階でのことである。
第二段階での問題を、第一段階からの問題であるかのように扱ってきたところに、起点における誤りがあったのである。
日高見国から陸奥国(道奥国)へと呼称が改まるときは、古代国家の国号も、倭国から日本国へと改まるときでもある。
中国の史書によれば、日本国という国号は、はじめ倭国と相対峙していた倭人の心の、小独立国であった日本国が、武力的に倭国に合併され(もしくは倭国を合併し)たのを機に、新統一国家の国号として、そう称したものであるという。
その小独立国日本国については、これを日高見国の略称だとする理解は江戸時代からある。また、祝詞大祓詞には「大倭日高見の国を安国と定め奉り」というようないいかたがあって、これら古代史料を総合すれば、古代国家の日本国という名の国家形成に、日高見国が重大なかかわりを持っていたらしいことが推測される。
本書は、そのような巨視的な分析視角をも導入する。
本書では、漢語の毛人と蝦夷、ヤマトことばのエミシとエビス、相互に区別して、はじめてそれぞれの性格が明らかになるという視点が示される。
これまでは、それらは相互にどちらでもよく、同じもののことばの上でのニュアンスの違いをさすというような理解になっていた。
この点については、本書ではまず、毛人と蝦夷とは、時間的に段階を異にし、空間的に場所を異にする、別々のヒト集団であるという理解に立つ。
すなわち、毛人は、ヤマト時代前期ごろ、東国が経営対象になっていたころのあずまのひなびとについていい、蝦夷は、ヤマト時代後期以降の日高見国のひなびとたちについておこなわれる呼称、とする。
毛人の訓は本来ケヒトで、しかもケヒトははじめ異人だったというのが、本書での新しい視点である。異人に毛人をあてたから、毛人の訓は本来ケヒトだったとする。
その毛人国がすなわち毛国=毛野田になる。毛野田はケノ国すなわち毛ノ国なのである。
異人の中心が日高見国蝦夷に移り、毛野中心の東国がヤマトの干城に編成がえされて、毛人たちは、勇者の意味でエミシと呼ばれるようになる。
毛人がケヒトすなわち異人であったころは、蝦夷と同じく賤称であった。
それがあずまの勇者の意味で、ユミシ(弓人よとなり、エミシに転化して、美称になるのである。
蝦夷は、新異人として、第二の毛人という性格のものでもある。
そのため、その訓も、エビスということにして、エミシの転訛という形をとった。
しかし、エミシは勇者の美称、エビスは暴強の貶称、用法をはっきり異にし、本来は混同がなかったと考えられる。蝦夷の訓は、もともとエビスであって、エミシでなかったとすべきである。
蝦夷という造語をわざわざ行なったのは、この人たちがエビ人であることを文字に表示せんがためだったのである。
エビスは、ことばとしては、確かにエミシから出た。しかし、このことばは、自然発生的に訛話として出たのではなく、エミシに出て、エミシから区別さるべき用法として成立したというべきである。
エミシは美祢、エビスは賤称、本来は区別されていたのである。
混用は、両者の区別があいまいになり、必要なくなり、できなくなってからのことである。
古代には、エゾの称はなかったとされてきた。
本書では、その定説のような通説にも再検討を加え、古代、伊寺・伊治と表記されている地名が、エゾ呼称の原型になるのでないかという言語考証をこころみている。
この仮説は、この地域のエビスを特別異人として差別する認識が現地にあったことに注意して、そこの夷種=異種という蔑称が固有名詞的に固定するようになって、イシュ(夷種)、現地呼称としてエジュのように発音され、その夷種村が伊治村と表記されたという推定である。
イシュ→エジュ→エズ→エゾのように転訛し、エゾ村に近い発音で伊治村は呼ばれていたのでないかという見通しを立てている。
ただしそれは、特定地域のエビス名で、エビス全体をおきかえる呼称ではなかった。
以上のようであれば、エゾといえども和人からの呼び名である。
アイヌは、アイヌ白身が、自分のことばで自分をそう呼び、和人もそれを認めて成立したものである。
蝦夷やエゾで呼ばれる限り、アイヌはアイヌでない。
本書はおよそ以上のようなテーマを扱うのである。
高橋 富雄 著『古代蝦夷を考える』序説より
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