相 沢 史 郎
ですが、「蝦夷」といわれた人たちの文化の主体を生きたのは、アイヌであると思いますので、蝦夷語とはアイヌ語を中心に据えています。つまりアイヌ語を中心にしてその周辺に古代朝鮮語あり、古代日本語あり、さらに沿海州の分派したツングース語ありという訳です。
その一つである古代朝鮮語をここでとりあげてみます。縄文晩期に稲作の痕跡が各所に見られるということは、農耕に関係のある古代朝鮮語もかなり入っているとみられます。とくにここで問題にしたいのは、岩手県南部は奈良末期に大和軍に大きな抵抗をした地帯であり、その地帯は稲作がかなりすすんでいたと証明されていることです。さらにそこには古代朝鮮語が色濃く残されています。それが田村麻呂以前か以後かが問題になるのですが、田村麻呂以後も「蝦夷」は消えたとはいえませんので、やはり「蝦夷語」の周辺として考えてみます。
不明な点は多いのですが、「田夷」といわれた人々は、古代朝鮮語という文化もかなりとりいれていたのではないか、その辺にも探りをいれたいのです。
さらに、北・東北方言はアイヌ語と古代朝鮮語を残しているという点も提起してもいいでしょう。アイヌ語と日本語は文法体系が違うといわれますが、東北方言には、その論は当てはまるのでしょうか。
南方語・アイヌ語・古代朝鮮語とかさなって日本語が形成されたという意見が、人間の遺伝子からも証明されていますが、それをもっと地域的にさぐってみるのが、私の意見です。
「蝦夷」といっても地域・風土によって文化の差異があります。研究がかなりすすんでいる現在では、十把一絡げは許されないでしょう。というのが、私の論旨です。
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