原初の思考アニミズム・シャマニズムの残映
ビデオ映像による修験山伏の儀礼と民俗行事
日本映像民族学の会・日本山岳修験学会 長島節五
どの宗教においても言えることだが、その信仰形態には、人間の原初的な思考であるアニミズム(animism)の上に成り立っている。このアニミズムと言う言葉を唱えたのがE.B.タイラー(原始文化1871年)である。生きている人間には「生霊」、死んだ人間には「死霊」、そして草木や石などの様々な物にまで霊的存在があると考え、信仰の対象としてそれらに対して儀礼を行ってきた。太古の昔から現代まで人間は文化を発展させてきたが、その近代科学、物質文明のメカニズムである社会的、その文化的装置や行為の中にも、アニミズムは生きて発信している。ただそれを行っている者が、日々の慣行で行っているために、それが原始的な行為、アニミズムだとの意識はない。アニミズムは人間の根源的な思考、深層心理である。
アニミズムのアニはアニメーションのアニである。アニマ(生気)アニマル(動物)アニメート(生きている)アニメーション(活気)であるから、あらゆる事物には「魂」が存在するとことができるということになる。
古代人は身の回りにおけるあらゆる現象を、自分自身、人間の生から死までの過程に照らし合わせて、その現象を理解してきたと思う。そうした観念を継承しているのは神道だから、今さら言うことはないではないかと言うことになるが、「神道」と漢字で標記するように、大陸中国文化の影響を受け、仏教導入以後に名付けられた物であり、中世の吉田兼倶や近世の本居宣長らによって体系化されてきたのであり、津々浦々までその概念が浸透するのは、明治の為政者による思想統一教化によるものである。圧倒的多数を占める常民に取っては、カミと言うことは、「神」ジン・シンではなく、古代常民・蝦夷は文字を持たないわけであるから、カミ観念を漢字で標記するのは的確ではない。渡来の神や為政者の都合で奉られた神は、漢字で「神」と標記するのは当然であるとしても、常民のカミは、産土カミ・氏カミ・山のカミ・海のカミ・土のカミ・水のカミ・火のカミ・鉄のカミ・田のカミ・畑のカミ等々の音標文字であるカタカナ標記する方がより的確であると思う。「カミ」と「神」は混乱して用いられているが、今ではそうしたことに疑問を持つ人はほとんどいないのが現実である。民俗史や宗教史等の専門書ですら混乱混用が行われているから、その行間を読まないと混用を見過ごしてしまう。そうした混乱混用は国家神道・神社神道にとっては、日本の古来から続く伝統宗教だと思いこませる好都合な誤認である。かって吉田茂が「嘘も百回言い続ければ本当になってしまう」と言ったように、このこともそ言うことになっているようだ。
人間はその肉体に魂が入っているから人間であるが、死で魂が彼の世に行ってしまえば、肉体は魂が抜けた抜け殻、魂無き空、亡った空だから亡骸である。そうした魂が、一時的に消えそうになることがある。「ビックリ」することを「タマゲル」と言うことは魂が消えそうになること、「魂消る」である。そのため不安定な魂は肉体に固定しておかなければならない、それを「魂結い」と言う。だからザンバラ髪にしておくことは恥ずべき姿であり、髪を束ねる「チョンマゲ」は、成人としての魂が備わった人、人格を表す「魂結い」なのである。お婆さんが「何々をする事を忘れないように」と、糸で指を結んでおくことをするとか、誰かさんと誰かさんは赤い糸で結ばれていたなどの話は、意識の固定、「魂結い」である。
臨終、死を迎えようとしている人の枕元で、その人に呼びかけることは、今まさに肉体から魂が抜け出て、彼の世に向かわんとする魂を、この世、肉体に留めておく呼びかけである。それを「魂呼ばい」と言う。かって関東地方では、臨終を迎えた人の寝ている家の屋根に近親者が登り、彼の世に向かわんとする魂を、呼び戻すために声の限り呼び続ける習慣があった。また会津の郷土史家鉱山史研究家である佐藤一男さんからお聞きした話であるが、鉱山内の事故等で死者意識不明者が出た場合、当事者を地下から地上に出すまで、その人の名を呼び、ハンマーでタガネの頭を「カチーカチーカチー」と鳴しながら坑外に先導するそうだ。これは肉体から抜け出ようとする魂や、抜け出て坑道内をさまよっている魂を成仏させるために、地上に導くための呼びかけである、これも「魂呼ばい」である。
人の肉体には限りがある、然し魂は不滅である。との考えは、人が死んだ場合肉体から抜け出た魂は、近くの山(端山)に飛んでいき、そこに留まっている。そして里で赤ん坊が生まれる際、その誕生の瞬間に魂が憑依する。その赤ん坊が何年か前に死んだ爺さんに似ていると、何々爺さんの生まれ変わりだと言うことになる。それは何々爺さんの蘇り、黄泉の世界である端山から帰ってきたのだから、蘇りは「黄泉帰り」で有るわけだ。そうした観念に基づいた信仰形態は、福島県や山形県に見られる「葉山(端山・羽山・早山・麓山)信仰」である。そして両生類の蛙も、「卵」から「お玉杓子」そして「蛙」とどんなに変態しようとも、元の姿に戻り帰るから蛙である。門口に蛙の置物を置くのは、語呂合わせの前に、古代人が蛙の生態を観察し、それを認識したから「蛙」と名付けたことが分かると思う。そしてそれを呪術として、家を出た人が無事帰って来るようにと蛙の置物はあることになる。
葬式を出した家の親族は、年末前に喪中のハガキをだすが、これは戦後流行りだした物で、本来四十九日の間が喪中であり、それを過ぎてまで喪に服されたのでは、故人は死んでも仏様になれず、お正月が過ぎるまでは成仏できないことになる。四十九日を過ぎたら元の生活に戻り、元気に生業に精を出してもらわないと、彼の世に行かれた故人は気が気でないのだ。流行りだしたらうそも本当になってしまう…………。
ところでその葬式、最近は専門家にまかしてしまうためか、ただやたらと悲しく切なく、空しさだけが演出され味気のないものになってしまってる。本来葬式はこの世に蘇って来るための儀礼なのであるが、現在は故人を追悼することに終始する嫌いがある。蘇るためには母の胎内から誕生しなければならない、まずそのためには父母の性の交わりがあり、その結果を育む子宮胎盤恵那が用意されなければならない。
そうした観念の元に、イエス・キリストは復活蘇りができたことになる。古代ゲルマンでは犠牲の木に吊り下げられて聖人になる伝承があり、キリストもそれにならい、十字架という聖なる性の交わりの象徴に、ぼろきれをまとってぶらさげられることは、父母の交わりの形代である十字架と、恵那の形代であるぼろきれに包まれているから復活の呪術が成立するのだ。位牌や墓石に墓標そして枕飯は、大地(母性原理の水平軸)と天の交わり(父性原理の垂直軸)となり、父母の交わりの観念の象徴なのである。そして白い死装束は恵那にたとえての形代になる。西欧では白いシーツに包むことにより同じ恵那の観念をシーツに持たせている。その生まれ出る胎児と同じ観念の元に、記念碑の完成お披露目には、白いシーツを取り払う除幕式が行われる、この白いシーツも恵那である。最近は白い色に意味があることを忘れ、綺麗な色なら何でも良いと、五色の幕を使うところもあると聞く、民俗の終末、喪失していることが現実である。
棺桶や墳墓は子宮疑似母胎であることは、土饅頭墓や亀甲墓それに古墳の形状を見れば母胎で有ることが理解できると思う。古墳の石室の北面の壁に描かれているのは玄武である、古代中国では蛇(龍)は父性原理、亀は母性原理と考えられていた。玄武は父性原理の蛇と母性原理の亀が睦み合う姿を表している。一昨年友人が中国に行った際、玄武の置物を購入してきた、その置物を裏返して見ると肝心なところがしっかりと交接していた。これによって古墳は蘇りのためのシュミレーションを行う巨大な装置であるこがわかる、たぶん古墳の埋葬儀礼はシャーマン達によって、壮大なバーチャルリアルテーが展開されていたことを想像することは当たらずとも遠からずであろう。こうした中国の思想もアニミズムを理論づけ、陰陽道五行思想えと進化し、日本で行われる皇室儀礼やほとんどの祭礼の仕組みは、この理論で構築されたものである。
佐々木宏幹(駒沢大学教授)は「シャーマニズムの根っこはアニミズム」と指摘している。弘文堂文化人類学事典によれば(shamanism・shaman)「1.定義:シャマンは神や精霊からその力能をえ、神や精霊との直接交流によって託宣、預言、治病、祭儀などを行う呪術ー宗教的職能者である、シャマニズムとはシャマンを中心とする世界観、儀礼、信者・依頼者集団などから成る一宗教形態である。”シャマン”の語はツングース語やゴルド語、マンシュー語でその地の典型的な呪術ー宗教的職能者を指す”サマン”(saman.saman)に由来し、19世紀以降北アジア一帯の呪術ー宗教的職能者一般に適用され、その後世界各地の類似職能者を広く意味するにいたった。わが国では、シャマンを巫者、巫師、巫術師などと呼び、シャマニズムを巫術、巫道、巫教などと称する」
現在わが国では、東北地方や南西地方(沖縄)にはそのシャマンの活動がよく見られるが、東北ではイタコ、ゴミソ、ワカ、カミサン、オナカマなどを見るが皆女性シャーマンである。明治以前、巫女達は修験山伏と一緒に宗教活動を行うことも多々あったが、 明治の為政者の政策から漏れた巫女達は、その宗教活動を今でも行っている。これらのシャマニズムは、古くは「魏志倭人伝」に、女王卑弥呼が鬼道を使うことが記されている、また「日本霊異記」には役小角は(鬼神を駈使い、得ること自在)記され、仙術を使う仙人であることが伺える。この役小角が修験道の開祖され、「役の行者」とか、「神変大菩薩」といわれ。その伝承には、「毎夜五色の雲に乗って空を飛ぶ」などの伝説を残している。
修験道は古来からのシャマニズムに大陸からの陰陽道・五行思想の道教儒教などと融合し、仏教における密教で理論を構築した神仏混淆の宗教形態であり、儒教の倫理観や道教の儀礼様式に占術を取り込み、現在日本にある宗教形態の中では、一番日本人の死生観にそった宗教形態で、日本教と言っても過言ではないと思う。
日本人は先祖を崇拝する祖霊信仰と、自然が神そのものとするアニミズムの自然宗教と仏教思想によって形成された、神仏混淆の形態である。それは「カミ様・仏様・ご先祖様」の三位が一体となった宗教観である。明治の為政者によって行われた廃仏毀釈神仏分離令は、中国における文化大革命と同じ思想弾圧であり、精神文化、伝統的民俗文化などの広範囲に取り返しのつかない破壊をもたらした。明治5年、廃仏毀釈、神社合祀、修験道廃指令がだされ、多くの神宮寺や修験寺が廃絶廃業に追い込まれ、神道に宗旨をあらためさせられ神社に変わった寺もかなりの数になり、(その改装のために須弥壇・本尊は持ち出され破壊されたり、海外に二束三文で流失し、欧米の美術館等の重要なコレクションになっていることは周知のことだと思う。ここで重要なのは、我が国の重要・貴重な文化財が海外に流失した原因が明治の為政者の手になる廃仏毀釈にあり、敵国に戦利品として持ち出された物ではないことだ。)そして修験山伏の表だった活動は昭和20年の敗戦まで停止させられたが、あまりにも長期間のため復活できなところが多かった。
現在の山伏の儀礼には、シャマニズム的な要素が見られるが、多くは形骸化してしまって、シャーマン的行いは少なくなり、伝統伝承にそった儀式儀礼を形式的に行っているのが大半である。修験に見られるシャマニズムの構造は、脱魂(他界遍歴・操作)、憑依(憑ける・落とす)などがある。脱魂はトランス(恍惚)状態に置いて他界を飛翔したりすることであり、役行者が五色の雲に乗って空を飛ぶなどはこれに当たる。憑依は守護神霊などを他者に憑依させたり、障礙の原因になる邪神邪霊を一度巫女などに憑依させ、その正体を暴き調伏し障害を落とすことなどをする。
現在組織として確立している修験山伏の伝統的な修行は、山形の羽黒、その手向の正善院で行われている。関西では吉野の東南院等で行われている。この峰入り修行は擬死再生の儀礼である。山中を経巡り、人の一生を演じ、小木と言う小枝を自分の骨に見立て、自分で自分の葬式を行う。これを逆修葬礼と言う。これは葬式・受胎・胎児・出産を疑似体験し、それと同時に仏教の輪廻をも体験し、人間とは何かを自問自答することでもある。この山中を跋渉する形態は、近世後半には「十三参り」などと称して、男子の通過儀礼として各地で盛んに行われた。この通過儀礼を担っていた修験山伏は、表向きでは解散させられていたが、それにめげず細々と伝統を守ってきた所もあった。戦後の教育の場やメディアを通した知識階級のプロパガンダによって、古い物や伝統的なことは軍国主義の同類、古い因習のごとく扱われ、その結果戦後急速に精神的民俗遺産も有形遺産も放逐されてしまった。昨今凶悪化に歯止めが掛からなくなって行く少年犯罪も、戦後知識階級により倫理を阻害した、「権利・自由」を強調してプロパガンダされたことが、要因の一つであったと思う。
最近分別ある中高年者が「峰入り」修行に参加し、アイデンティティの模索を、修験山伏の修行の中から見いだそうとする人が増えてきた、時代の転換期に来て、ようやく「温故知新」を噛みしめる時が来たようだ。
注 ゼミナールでは、ビデオを上映し、それに基づいた講演であったが、ここでは映像を割愛させていただきました(事務局)
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えみし学会 | 岩手県盛岡市東緑が丘13-1 |
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