市町村の「憲章」とは何であろうか。先日、講師を務めたある市の生涯教育講座の冒頭で、「一つ、明るい町をつくります」といった五項目の憲章が唱和された。
私が住む北上市の憲章は、新市が誕生した翌年の一九九二年一月五日に制定された。発表を聞いて、あぜんとした。
「あの高嶺 鬼すむ誇り/
その瀬音 久遠の賛歌/
この大地 燃えたついのち/
ここは 北上」。
これが全文である。当初、戸惑ったが、味わってみると、全国に自慢できる優れものだという思いがしてきた。撰文をした市民委員会の見識に、改めて目を見張った。
ところで、「鬼すむ」ことがなぜ「誇り」となるのか。
「誇り得る鬼」などいるものか。
だれしもが持つ疑問は、「北上の鬼」を、取り囲む高嶺に住み、里人を見守る我々の遠い先祖の霊と位置づけることで氷解させることができる。
東北の庶民信仰に葉山信仰がある。人が死ねば里に近い葉山・端山などと呼ばれる山に行くという。
北上市では和賀町岩沢の羽山、口内町の麓山がそうで、霊魂はそこにしばらくとどまり、次第に清められて高い山へ昇り、祖霊となると考えてきた。
「鬼」は、怖いもの、人に災いをなすものとされている。古代の中央政府は、鬼門の先の国、東北に住む人々を蝦夷(エミシ)あるいは鬼と卑しめて、征伐の対象とした。だが、東北の鬼は、鬼剣舞の鬼、秋田や山形、岩手の沿岸部のナマハゲ・アマハゲ・ナモミ・スネカなど、悪魔を祓い、人に幸せをもたらすカミと同列のものであった。
だから、北上市民憲章に高らかにうたいあげられた「鬼」は、そうした遠祖の霊であり、征討されたエミシの復権を願う熱い心意気を示すものである。